逐節對照
- リビングバイブル - マケドニヤに着いた時、私たちには少しの安らぎもありませんでした。外には四方八方に困難が立ちふさがり、心は恐れと不安でいっぱいでした。
- 新标点和合本 - 我们从前就是到了马其顿的时候,身体也不得安宁,周围遭患难,外有争战,内有惧怕。
- 和合本2010(上帝版-简体) - 我们从前到了马其顿的时候,身体没有丝毫安宁,反而到处遭患难,外有纷争,内有惧怕。
- 和合本2010(神版-简体) - 我们从前到了马其顿的时候,身体没有丝毫安宁,反而到处遭患难,外有纷争,内有惧怕。
- 当代译本 - 我们到马其顿的时候,身心无法安歇,面临着重重患难,外有冲突,内有恐惧。
- 圣经新译本 - 我们从前到了马其顿的时候,身体一点安宁也没有,反而处处遭受患难,外面有争战,里面有恐惧。
- 中文标准译本 - 实际上,我们以前到马其顿省的时候,不但身体得不到安宁,也处处受患难,外有争战,内有惧怕。
- 现代标点和合本 - 我们从前就是到了马其顿的时候,身体也不得安宁,周围遭患难,外有争战,内有惧怕。
- 和合本(拼音版) - 我们从前就是到了马其顿的时候,身体也不得安宁,周围遭患难,外有争战,内有惧怕。
- New International Version - For when we came into Macedonia, we had no rest, but we were harassed at every turn—conflicts on the outside, fears within.
- New International Reader's Version - When we came to Macedonia, we weren’t able to rest. We were attacked no matter where we went. We had battles on the outside and fears on the inside.
- English Standard Version - For even when we came into Macedonia, our bodies had no rest, but we were afflicted at every turn—fighting without and fear within.
- New Living Translation - When we arrived in Macedonia, there was no rest for us. We faced conflict from every direction, with battles on the outside and fear on the inside.
- The Message - When we arrived in Macedonia province, we couldn’t settle down. The fights in the church and the fears in our hearts kept us on pins and needles. We couldn’t relax because we didn’t know how it would turn out. Then the God who lifts up the downcast lifted our heads and our hearts with the arrival of Titus. We were glad just to see him, but the true reassurance came in what he told us about you: how much you cared, how much you grieved, how concerned you were for me. I went from worry to tranquility in no time!
- Christian Standard Bible - In fact, when we came into Macedonia, we had no rest. Instead, we were troubled in every way: conflicts on the outside, fears within.
- New American Standard Bible - For even when we came into Macedonia our flesh had no rest, but we were afflicted on every side: conflicts on the outside, fears inside.
- New King James Version - For indeed, when we came to Macedonia, our bodies had no rest, but we were troubled on every side. Outside were conflicts, inside were fears.
- Amplified Bible - For even when we arrived in Macedonia our bodies had no rest, but we were oppressed at every turn—conflicts and disputes without, fears and dread within.
- American Standard Version - For even when we were come into Macedonia our flesh had no relief, but we were afflicted on every side; without were fightings, within were fears.
- King James Version - For, when we were come into Macedonia, our flesh had no rest, but we were troubled on every side; without were fightings, within were fears.
- New English Translation - For even when we came into Macedonia, our body had no rest at all, but we were troubled in every way – struggles from the outside, fears from within.
- World English Bible - For even when we had come into Macedonia, our flesh had no relief, but we were afflicted on every side. Fightings were outside. Fear was inside.
- 新標點和合本 - 我們從前就是到了馬其頓的時候,身體也不得安寧,周圍遭患難,外有爭戰,內有懼怕。
- 和合本2010(上帝版-繁體) - 我們從前到了馬其頓的時候,身體沒有絲毫安寧,反而到處遭患難,外有紛爭,內有懼怕。
- 和合本2010(神版-繁體) - 我們從前到了馬其頓的時候,身體沒有絲毫安寧,反而到處遭患難,外有紛爭,內有懼怕。
- 當代譯本 - 我們到馬其頓的時候,身心無法安歇,面臨著重重患難,外有衝突,內有恐懼。
- 聖經新譯本 - 我們從前到了馬其頓的時候,身體一點安寧也沒有,反而處處遭受患難,外面有爭戰,裡面有恐懼。
- 呂振中譯本 - 雖然如此,我們的身體卻一點鬆息也沒有;就是到了 馬其頓 、還是這樣;相反的,我們倒凡事遭遇困難;外有衝突,內有憂懼。
- 中文標準譯本 - 實際上,我們以前到馬其頓省的時候,不但身體得不到安寧,也處處受患難,外有爭戰,內有懼怕。
- 現代標點和合本 - 我們從前就是到了馬其頓的時候,身體也不得安寧,周圍遭患難,外有爭戰,內有懼怕。
- 文理和合譯本 - 我至馬其頓時、身無寧處、隨在遭難、外有爭、內有懼、
- 文理委辦譯本 - 我素至馬其頓、身無寧處、屢遭顛沛、患生於外、懼存於中、
- 施約瑟淺文理新舊約聖經 - 我昔至 瑪其頓 、身不得安、多遇困苦、外有爭戰、內有恐懼、
- 吳經熊文理聖詠與新經全集 - 蓋吾儕抵 馬其頓 時、險象環生、不遑寧息、外有鬥爭、內有憂怖;
- Nueva Versión Internacional - Cuando llegamos a Macedonia, nuestro cuerpo no tuvo ningún descanso, sino que nos vimos acosados por todas partes; conflictos por fuera, temores por dentro.
- 현대인의 성경 - 우리가 마케도니아에 갔을 때에도 우리 몸이 편치 않았지만 가는 곳마다 어려움을 당해 밖으로는 다툼이 있었고 안으로는 두려움이 있었습니다.
- Новый Русский Перевод - Ведь даже когда мы пришли в Македонию, то не имели там покоя. Проблемы обрушились на нас со всех сторон: извне мы терпели нападки, а внутри нас одолевали страхи.
- Восточный перевод - Ведь даже когда мы пришли в Македонию, то не имели там покоя. Проблемы обрушились на нас со всех сторон: извне мы терпели нападки, а внутри нас одолевали страхи.
- Восточный перевод, версия с «Аллахом» - Ведь даже когда мы пришли в Македонию, то не имели там покоя. Проблемы обрушились на нас со всех сторон: извне мы терпели нападки, а внутри нас одолевали страхи.
- Восточный перевод, версия для Таджикистана - Ведь даже когда мы пришли в Македонию, то не имели там покоя. Проблемы обрушились на нас со всех сторон: извне мы терпели нападки, а внутри нас одолевали страхи.
- La Bible du Semeur 2015 - En effet, à notre arrivée en Macédoine, nous n’avons pas eu un instant de repos, nous avons connu toutes sortes de détresses : conflits au-dehors, craintes au-dedans.
- Nestle Aland 28 - Καὶ γὰρ ἐλθόντων ἡμῶν εἰς Μακεδονίαν οὐδεμίαν ἔσχηκεν ἄνεσιν ἡ σὰρξ ἡμῶν ἀλλ’ ἐν παντὶ θλιβόμενοι· ἔξωθεν μάχαι, ἔσωθεν φόβοι.
- unfoldingWord® Greek New Testament - καὶ γὰρ ἐλθόντων ἡμῶν εἰς Μακεδονίαν, οὐδεμίαν ἔσχηκεν ἄνεσιν ἡ σὰρξ ἡμῶν, ἀλλ’ ἐν παντὶ θλιβόμενοι— ἔξωθεν μάχαι, ἔσωθεν φόβοι.
- Nova Versão Internacional - Pois, quando chegamos à Macedônia, não tivemos nenhum descanso, mas fomos atribulados de toda forma: conflitos externos, temores internos.
- Hoffnung für alle - Als wir nach Mazedonien kamen, waren wir zunächst sehr beunruhigt. Überall gab es Schwierigkeiten: Wir mussten alle möglichen Anfeindungen ertragen und waren zudem selbst voller Angst und Sorgen.
- Kinh Thánh Hiện Đại - Khi đến Ma-xê-đoan, chúng tôi bị khốn khổ đủ điều, chẳng lúc nào được an thân, bên ngoài phải tranh đấu không ngừng, trong lòng lo sợ hãi hùng.
- พระคริสตธรรมคัมภีร์ไทย ฉบับอมตธรรมร่วมสมัย - เพราะเมื่อมาถึงแคว้นมาซิโดเนียเราไม่ได้พักกายเลย หันไปทางไหนก็ถูกก่อกวน ภายนอกมีความขัดแย้งภายในมีความหวาดหวั่น
- พระคัมภีร์ ฉบับแปลใหม่ - เมื่อเรามายังแคว้นมาซิโดเนีย ร่างกายของเราไม่ได้พักผ่อน เราประสบความลำบากตลอดเวลา มีการวิวาทรอบข้างเรา และมีความกลัวอยู่ในใจ
交叉引用
- コリント人への手紙Ⅱ 12:20 - 心配なことがあります。私がそちらに着いてみると、期待はずれの状態で、そのため、あなたがたの望まないような行動をとらざるをえない事態が生じないかということです。もしかしたら、そちらでは、争い、ねたみ、怒り、横暴、悪口、陰口、高慢がいっぱいで、秩序がすっかり乱れているのではないでしょうか。
- コリント人への手紙Ⅱ 12:21 - 実際、あなたがたの面前で、神様が私を、恥ずかしい思いにされるのではないでしょうか。そして、前から罪を犯していながら、その邪悪で汚れた行い――好色、不道徳、不品行など――を全く気にかけていない多くの者を見て、悲嘆にくれるのではないでしょうか。このことが、ほんとうに心配なのです。
- ガラテヤ人への手紙 4:11 - そんなあなたがたが、気がかりでなりません。私があれほど、あなたがたのために一生懸命尽くしてきたのは、全部むだだったのでしょうか。
- エレミヤ書 6:25 - 畑に出てはいけません。道を歩いてもいけません。 どこもかしこも敵だらけで、 人を見たら殺そうと待ちかまえているからです。 私たちは、曲がり角に来るたびに、びくびくします。
- エレミヤ書 45:3 - 『おまえはこう言った。「私は実にみじめな人間だ。もう十分に苦しんできたのに、神は、なおも苦しみを加えた。出るのはため息ばかりで、ゆっくり休むことさえできない。」
- エレミヤ書 8:18 - あまりの悲しみに、どうしたらよいかわかりません。 私の心はすっかり弱り果てました。
- コリント人への手紙Ⅱ 1:17 - では、なぜその計画を変更したのか、と尋ねられるかもしれません。その決心が、まだ固まっていなかったからでしょうか。それとも、私も世間の人のように、ほんとうは「いいえ」と言いたいのに、「はい」と言ったりしたのでしょうか。
- マタイの福音書 11:28 - 重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。
- マタイの福音書 11:29 - わたしはやさしく、謙遜な者ですから、負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。
- マタイの福音書 11:30 - わたしが与えるのは軽い荷だけだからです。」
- コリント人への手紙Ⅰ 16:5 - 私は、まずマケドニヤに行ってから、あなたがたを訪問する予定です。マケドニヤには、ちょっと立ち寄るだけです。
- ヨブ 記 18:11 - 敵が、すぐあとをつけているのだから、 彼が怖がるのもむりはない。
- 創世記 8:9 - けれども鳩は下り立つ所が見つからず、ノアのもとへ帰って来ました。水がまだ全地を覆っていたからです。ノアは腕を伸ばし、鳩を船の中に入れました。
- 使徒の働き 20:1 - 騒ぎが収まると、パウロは使いをやって弟子たちを集め、別れを告げてからギリシヤへ出発しました。
- イザヤ書 33:12 - 自慢の軍隊は、いばらが切り払われ、火に投げ込まれるように、 焼かれて石灰になる。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:23 - 彼らはキリストに仕えていると言うのですか。しかし、私はもっと仕えてきました。こんなに自慢をする私は、気でもおかしいのでしょうか。 私の労苦は彼らの比ではありません。投獄されたこともかなりの回数に及び、むち打たれたことは数えきれず、何度も死に直面しました。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:24 - ユダヤ人から、恐ろしい三十九回のむち打ちの刑を受けたことが五度あります。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:25 - それから、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったことが一度あります。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:26 - 幾度も長い苦しい旅をし、川がはんらんしたり、強盗に襲われたり、同国人からも外国人からも迫害されたりして、何度も危険な目に会いました。町々では暴徒に取り囲まれ、荒野や嵐の海でやっと命びろいしたこともあります。クリスチャンだと自称しながら、実はそうでない人たちに苦しめられたこともあります。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:27 - 疲れ果て、苦しみ、たびたび眠れない夜を過ごしました。飢え渇き、食べ物もなく過ごしたこともしょっちゅうです。また服もなく、寒さに震えていたこともありました。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:28 - こんなことのほかに、諸教会がどうなるかという心配を絶えずかかえています。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:29 - 誤った道を進んでいる人を見て、悲しまないでいられるでしょうか。倒れている人を見て、知らん顔ができるでしょうか。精神的に痛手を受けている人を見て、傷つけた相手に激しく怒らずにいられるでしょうか。
- コリント人への手紙Ⅱ 11:30 - しかし、もしどうしても誇る必要があるなら、私はむしろ、自分の弱さを誇ります。
- テサロニケ人への手紙Ⅰ 3:5 - そういうわけで、私は不安な気持ちに耐えきれず、あなたがたの信仰が以前のようにしっかりしているかどうか確かめたくて、テモテに行ってもらいました。悪魔に誘惑されて信仰を奪い取られ、これまでの苦労が水のあわになったのではないかと心配だったからです。
- コリント人への手紙Ⅰ 15:31 - 事実、私は毎日、死に直面しています。このことは、あなたがたの主にある成長を私が誇るのと同じように、確かなことです。
- ガラテヤ人への手紙 4:19 - ああ、私の子どもたち。私はどんなに心配していることか。あなたがたがキリストに完全に支配される時をひたすら待ちながら、生まれて来る子どもを待つ母親のような苦しみを、もう一度味わっているのです。
- ガラテヤ人への手紙 4:20 - 今あなたがたのそばにいられたら、そして、こんな言い方をしなくてすんだらと、どんなにか願っています。これほど離れていては、正直言って、なすすべがないといった感じです。
- コリント人への手紙Ⅱ 4:8 - 私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされ、打ちのめされることはありません。「どうしてこんなことが」と途方にくれることがあっても、行きづまることはありません。
- コリント人への手紙Ⅱ 4:9 - 迫害されますが、神に見捨てられることはありません。打ち倒されても、また立ち上がって、前進を続けます。
- コリント人への手紙Ⅱ 4:10 - この体は、かつてのイエス様がそうであったように、いつも死に直面しています。ですから、私たちを安全に守ってくださる方は、私たちのうちに生きておられるイエスだけであることが明らかになるのです。
- コリント人への手紙Ⅱ 4:11 - まことに私たちは、主に仕えているために、絶えず死の危険にさらされています。しかし、そのことでかえって、死ぬべき私たちの体によって、イエス・キリストのいのちを明らかに示す機会が与えられているのです。
- コリント人への手紙Ⅱ 4:12 - 私たちはキリストの福音を宣べ伝えているために、死に直面しています。しかしその結果、あなたがたに永遠のいのちが与えられるのです。
- コリント人への手紙Ⅱ 2:3 - 前の手紙であのように書いたのは、私が行く前に、あなたがたの手で事を処理してもらいたかったからです。そうすれば、会って、一番喜ばせてくれるはずの人たちから、悲しい思いをさせられなくてすむでしょう。あなたがたの喜びと私の喜びとは、切っても切れない関係なのですから。私が喜び勇んで行くのでなければ、あなたがたも幸福な気持ちにはなれません。
- コリント人への手紙Ⅱ 2:9 - 私の手紙は、あなたがたがどのくらい私の指示に従ってくれるかを確かめるためのものでした。
- エレミヤ書 20:10 - そのうえ、四方八方から脅す声が聞こえるので、 私はおじけづきます。 「彼を訴えてやろう」と、彼らは言います。 かつての友人でさえ、 私がつまずき倒れるのを待っています。 「きっと彼は、自分でしかけた罠に落ちる。 そうしたら、うんと仕返ししてやろう」と てぐすね引いて待っているのです。
- 申命記 32:25 - 外には敵の剣、内には恐れ。 老人も若者も、乳飲み子さえも逃れられない。
- コリント人への手紙Ⅱ 2:13 - ところがそこでは、信仰の友である、愛するテトスに会えなかったので、彼がどこにいるのか、その身に何か起こったのではないかと気がかりでなりませんでした。そんなわけで、何とかしてテトスに会おうと、人々に別れを告げ、まっすぐマケドニヤに向かったのです。